はもブログ

まだジャンプを見分けられないまだ国旗も持ってないスケオタになりきれない永遠の初心者はもによる、ただただ羽生結弦さんへの愛を叫ぶ、羽生結弦さん試合観戦記※ほぼお茶の間たまに現地

北京オリンピック2022


「私は最初に最高のものを見てしまったんだ。そしてこれがきっと最後なんだ。」
4年前にぴょん落ちた時、そう思っていた。
インタで見せるやりきった顔、取るものは取ったという言葉、この人はもう競技の場を去るのだと思った。
過去の動画の大海原に身を投じながら、ああ何でもっと早く落ちなかったんだとぴょん落ち的悔恨に苛まれた。


それがどうだろう。
あれから羽生くんは何度も“最高”を更新してきた。ちっとも“最後”なんかじゃなかった。
そして4年後の今、彼はまたオリンピックの舞台に立った。3度目のオリンピックで戦う彼を私は緊張で震えながら応援することができたのだ。


4年。
オリンピックを2度制覇しほぼ全てのタイトルを持ち記録にも記憶にも大きく名を残すGOATと呼ばれる彼が歩んだ4年。
競技スケーターとしての最後の夢4回転アクセルに挑んできた4年。

あまりに多くのものを背負って挑んだ。
ダメージが蓄積された体で挑んだ。
一人夜中の練習を2年近くも続けながら挑んだ。
ただひたすらに「羽生結弦のアクセル」を目指した。


オリンピックで4Aに挑むのか、それとも3連覇に挑むのか。

プル様は4A挑戦を讃えつつ「北京で本当に3回目のオリンピック王者になってほしかった」と言った。
「ユヅルが試合に出るということは勝つために出るということ」と語っていたプル様らしい。

しかし羽生くんは“どちらか”なんて考えはなかったはずだ。羽生くんにとって、その2つは=だった。本気で2つを獲りにいった。
そう、オリンピックで4Aに挑めるのもオリンピック3連覇に挑めるのも羽生結弦しかいないのだから。

そしてこの舞台で、「僕の全てだった」と言えるジャンプを跳んだ。

初めてプロトコルに載った4Aの文字。
「4A<」


qだろうと言う人もいた。
あと、ほんのちょっと。

本田先生は“成功に足りなかったものは日数”と分析されていた。
つまり経験。実戦に投入してまだ2試合目。
何かきっかけ一つで跳べるようになることもあるのだろうが、やはり多くは試合での経験が必要なのだろう。
次の、もしくはその次の試合には決められるんじゃないかと言う解説者もいた。

しかし。
あとほんのちょっと。あと0.何秒。あと0.0何秒。
それがどれだけ遠いのかを羽生くんは誰より分かっている。
4年間全力で、文字通り全ての力を使って、命を懸けて挑んできた羽生くんが“あれが僕の全てだった”と言うなら、それはもう100%そうなのだ。


昨シーズン終わりに「4Aを飛びたいっていう理由の根本は“納得したい”なんですよね。胸を張って最高の羽生結弦という所にたどり着きたい。4Aを含めた完璧な形のプログラムを表現しないと自分自身納得できない」と話していた。

これが4Aの回転速度、と感じる域まで達してもなお厚かった着氷の壁、4Sの転倒、それでも崩れず完遂した『天と地と』の世界観。
“完璧”な形ではなかったかもしれないけど、それも含めて羽生結弦の生き様を投影したようなプログラムだった。
そして、その4Aは9歳の自分と一緒に跳んでいた。
羽生くんのスケートは人生そのものだ。



オリンピックでしかフィギュアスケートを見ないような方達に北京の羽生くんはどう見えただろう。
カメラに背中を向けて涙を流す姿は初めて見る姿だったかもしれない。
でも実は羽生くんはずっと勝ってきたわけじゃない。圧倒的に勝ったかと思えばボロボロに負けたりもする。羽生くんが行く所、山あり谷ありのジェットコースター。器用そうに見えて不器用。
私達は羽生くんが強いから、常に結果を残すから彼を好きなんじゃない。
羽生くんがいつだって真っ直ぐに裏技なしの正攻法で、愛するスケートに全てを捧げて挑む姿が好きなんだ。
そうして磨き上げた技術と芸術の融合。羽生結弦を表現できる色はないし羽生結弦が表現できない色もない。唯一無二のスケーター。


北京オリンピックでの彼を見て改めて思う。

私はやっぱり羽生結弦というスケーターが、羽生結弦のスケートが大好きだ。



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