はもブログ

まだジャンプを見分けられないまだ国旗も持ってないスケオタになりきれない永遠の初心者はもによる、ただただ羽生結弦さんへの愛を叫ぶ、羽生結弦さん試合観戦記※ほぼお茶の間たまに現地

Dreams on Ice 回顧録

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2021.7.11。初めてのKOSE新横浜スケートセンター


激しく掻き鳴らされるギター音から始まるイントロ、オペラ座の一節に空気が変わった。
羽生くんはスタートポジションからの一漕ぎで早くも会場を支配した。しかし、その圧倒的場の掌握力からは想像もできないほど、目の前で繰り広げられる彼のスケートは滑らかなものだった。一つも雑味がない。滑ってステップを踏んでスピンを回ってジャンプをして、間に細かいエレメンツを配して、と文字にするとぶつ切りになってしまうものが、見ているものは全く途切れるということがない。一本の糸で結ばれているのだ。しかもシルク糸のような、優雅でしなやかな一本の糸で。
2年前のどうしたって感情が爆発するあの激しいマスカレイドではなく、一言で言うと、“余裕”だったのだ。2年分大人になった故の余裕か、2年分更に向上したスケート故の余裕か。そのどちらもなのだと思う。余裕を感じるからと言って、じゃあ演技は淡々としているのかと言ったらそうではない。リンクは熱で満ちていた。余裕と情熱、一見すれば矛盾しているかのような両面を今の羽生くんは併せ持っているということだ。激しさを内包しながらもそれをコントロールできるようになったのではないだろうか。この2年の、普通の人ならばごちゃごちゃに絡ませてしまうことしかできないような“ありとあらゆる経験”を、ああ、羽生結弦という人は見事に一本の極上の糸に仕立て上げたのだなあと涙が込み上げてくるのだった。

だから、だからあの咆哮には本当にびっくりした。美しいタノディレイドアクセルジャンプのあとギターの音が止みToshIさんの歌声だけが響いてるところを切り裂くように耳に届いた叫び。語弊を恐れずに言うならば、決して綺麗な叫びではなかったのだ。「あー‼︎」でも「うおー‼︎」でもない、文字にできない生々しい叫びだった。本当に羽生くんの声だったのかも自信を持てないほどだった。持てなさすぎて、実は終演後Twitterで確認した。「叫んだ‼︎」「魂の叫び‼︎」と怒涛の如く並ぶツイを見て「ほんとに羽生くんの声だったんだ…」となったのだ。CS視聴組の声を頼りにする現地組w
それほどにあの咆哮は、直前まで見せていたスケートからすれば異質だった。
羽生くんにしても予定調和のものではなかったのかもしれない。あの瞬間、コントロールのタガが外れ放出された自我。伸ばした手。その手を力強く自分に引き寄せた。そしてラスト、これまでリンクに叩きつけてきた手袋を高く放ったのだ。それはまるで、羽生結弦第◯章(もはや何章かわからない)のスタートを意味する号砲のようだった。
これまでは願いを込めた言霊だったかもしれない。勿論、出来る人は羽生結弦しかいないと思っていたけれど。しかしこの日をもって確信した。号砲が鳴ったんじゃない。自ら力強く鳴らしてみせた羽生くんに確信した。

羽生結弦は今季4回転アクセルを成功させると。やっぱり羽生結弦しかいないと。

これは何も感情的に言っているだけなのではなく、根拠があってのことで。
私はスケート素人だが、素人でもわかるほど3Aに“余裕”があるのだ。え?これ3Aですか?もうこのまま4A行けますよね?的な、羽生くんてやっぱり羽が生えてるんだねと納得してしまう、どこまでも飛べて行ってしまいそうに高く大きいジャンプ。なのにブレない軸(特に3日目)。あ、今足をほどきましたね、こうやって回転を止めるんですね、と教科書になる正しい技術。バリエーション豊富な出入りの工夫。

ほら、やっぱり羽生結弦しかいない。そしてその時は、近い。


「競技スケーターとしての人生をかけた最後の夢。」

その夢を見守れる今があることに感謝しかない。どうか、健康で。



(下書きに保存していながらアップしていなかった記事…。記事の鮮度とは…?汗)