進化の時・私感〜to be continued...〜
『進化の時』が手元に届いた翌日。
早く見たい!、と逸る気持ちを抑えて、娘の学校のボランティア、家のことを済ませ、いつも以上にピカピカに家の中の至るところを磨いた。
大袈裟かもしれないけど、試合に臨むような気持ちだった。
だってだって私はぴょん落ちだから、リアルタイムで見れていない演技を大画面で見れるのだから!
(大画面というか普通のテレビ)
スマホでYouTubeを見る度に、大画面で見たいーーとずっと思ってきたのだから!
(スマホ画面比の大画面)
ダイジェストではあるが、私の知らない4年の間の数々の演技を見れるのだ!
これはもう、私にとってはやはり試合観戦!
ゆえに身も清めました。
感想。
一気に、見た。
一気にというか、止まっては巻き戻して、を繰り返して、かなりの時間を要した。
すごく汗をかいた。
側から見れば涼しい部屋でテレビを見ていただけなのだが、全神経を集中させていたのだと思う。
2014年。
オリンピックチャンピオンになったからこそオリンピックチャンピオンらしい演技を、と気負いもあったところに、中国杯の事故がありギリギリで進出したグランプリファイナル。
転倒もあり悔しくはあっただろうが、それすらも楽しんでいるような。
ただただ、滑れることが嬉しい!体が動くことが嬉しい!というような。
若いエネルギーが溢れていた。
3Aも、ジャンプが跳べて嬉しい!とぶっ飛んでいくような勢いを感じた。
さらに手術も経て、シーズン当初はあった気負いが、自分の今できることを踏まえた上での目標設定が大事、と丸みを帯びた変化をしていったのが印象深い。
一番大事なのは何をしたいか何をすべきか、それが実行できるかできないか。
今振り返れば思う、本当に一つ一つが平昌に繋がっているんだと。
違うな、繋げたのか。自分の力で。
2015年。
ピラティスの映像が入ってたのは個人的に嬉しい♪
組体操も、何で女子の上に乗ってんのか、3段目にいるのかwww
急激な高難度化の波を迎えていたシーズン。
攻撃力の高い新しい武器を持った若い相手に攻め込まれたら怯んでしまうものだが(羽生くんも十分若かったのだが)、待ってたぞ!と言わんばかりに受けて立つところが羽生結弦。
受けて立つ、というか、受けて立って返り討ちにするところが羽生結弦。
個性で戦っていられるからこそむちゃくちゃ楽しい、と言う人だもの。
リアル戦闘民族。リアルカカロット。
バラ1、SEIMEIを一段一段高めながら、その端々で顔を出す猛々しさ。漲る自信。
好きだな、そういうところ。
色んな可能性のある未来を決めつけたくない。
と言うこの時の羽生くんは、心・技・体、それがどれ一つとして欠けず全てがピークにあった、と言えるかもしれない。
2016年。
既に5回転とか言ってますね。
子供のころから言ってるんだもんね。
昨日今日の思い付きじゃなく、幼い頃から描く道に“ごかいてん”ってしっかり書かれてるんだろうな。
そこが目標じゃないとは思うが、どうかステイヘルシーやで…と16年の羽生くんにも言っておきました。
ぴょん落ち後、沼に一直線に転げ落ちた私がまず辿り着いたのがニース、その次がヘルシンキだった。
うん十年の人生で沼落ちなんてしてこなかった私が「はい!私!完全に落ちました!」と宣言せざるを得なかった、とどめのヘルシンキ。
何度も何度も繰り返し見てきたが(YouTube今までお世話になりました)、プレイバック解説映像に切り替わるので今まで見たことのなかった、演技直後オーサー達のもとへ戻る際もまだ爛々と強さを放つ目。
すっと右腕を広げた体から立ち昇る、炎のごとき熱。
ごうごうと燃える炎の音さえ聞こえた気がした。
ソチ後から平昌を迎えるまでの間の最大の勝利であったと思う。
この勝利がなかったら平昌での勝利はなかった。そう言い切れる。
2年負けが続いたワールドで大逆転での優勝を果たしたこと、質の深い集中による曲に溶けこむ感覚で2015年の自分を超えたこと。
この勝利があったから平昌直前の過酷な道でも自分を信じ抜くことができた。
平昌の氷の上に立つことができた。
勝つべき時に勝てる強さ。
強い選手は他にもいる。過去にもいた。
しかし、羽生結弦がGOATと言われるのは、“勝つべき試合で勝つ”、この傑出した強さがあるからこそだろう。
2017年。
一年前よりさらに逞しくなった体。
練習ってうまく真っ直ぐ行くものではないので停滞したり戻ったりすることはあるけど、それをいかに少なくするかが自分の今の平昌への道。
と両足首にアイシングをしながら語る羽生くんを見ると涙が出る。
この子(右足)の力を使わないと跳べないんで右(足)は大事、と言う言葉が平昌フリー後の右足をいたわる仕草に繋がって涙が出る。
涙が出るんだけど、アイシングのラップ?の使い方が雑すぎてww
ラップ、ぐちゃぐちゃやん。
そのラップ、もう無理なやつw
ああ!もう!感情が忙しい!
ロステレの4Lzは雄大だった。
ジャンプは相棒的なものなので、そこで切り捨てちゃうのも、逆に今まで大事にしてきたものを守ることもいつでもできる。と。
確実に武器を増やしつつある羽生くんを頼もしく思う反面、このまま怪我なく平昌を迎えていたらどうなっただろうか、と意味のないタラレバが頭をよぎる。
意味はないかもしれないが、タラレバを考えることで、今の私が知ってるこの先にある確かな未来に震えるのだ。
細かい事を言うと、途中から現れたランビエール先生がめっちゃ応援してくれていたのと、ハイドロからの起き上がりに合わせてオーサーが同じ動きをしていたのがほっこりしました!
いよいよ平昌。
至高のバラ1。
勝利のSEIMEI。
この『進化の時』においても6試合目、3年をかけて磨き上げたバラ1は、世界最高得点こそ更新しなかったものの、まさにバラ1の有終の美に相応しい演技だったのではないだろうか。
私の世界はこのバラ1によって根こそぎひっくり返されたし、私の人生はこのバラ1に出会う前と後ではっきりと区別される。
(興味ないと思いますが、、私の沼落ちの歴史。過去記事参照)
https://harumomoyk.hatenablog.com/entry/2019/07/04/140154
そして、ソチフリーのミスをリベンジしたいと臨んだSEIMEI。
演技後の「勝ったーー!」という強い表情が印象に残っていたが、取材ゾーンでの「フリーに対する気持ちに勝てた。乗り越えたーーって感じ」という羽生くんの表情が愛おしくて愛おしくてたまらない。
「がんばったねーー!」って頭をうりうりしたい。
ジスラン、ちょっとだけ場所かわってくれやしませんか?
これまでのスケート人生の歩み、この4年の歩み、この1年の歩みを思うと、
表彰式での、
「First Place!Japan,Yuzuru Hanyu!!」
というアナウンスが今また、とてつもなく重く心に響く。
そうだ!私、ブログもTwitterも始めたばかりで当時言えなかったから言わせてください!
羽生くーーーん!
オリンピック二連覇、本当に本当におめでとうーーーーーー!!!
帰国後の会見のシーンで『進化の時』は終わった。
「今一生懸命やることを一生懸命やって、で、その延長線上に北京があるのであれば、もし出るなら絶対に勝ちたい」
という言葉で。
まさに、
This story is to be continued...
『覚醒の時』作成時、作成者はまさか三部作になるとは思ってなかったでしょうね。。
壮大だ、羽生結弦物語。。
上記の会見での言葉は最近また聞くことができた。オータム後に。
同じ言葉だけど、内に込められた想いは全く違うだろう。
平昌後はフワフワしていた中での発言だったかもしれないが、今回の発言は真に迫るものになっているだろうと想像する。
頭のいい羽生くんが、その発言の重さ、どう報道されるか、考えないはずがない。
マスコミは喜んで飛びつく。
実際、羽生三連覇挑戦!と謳う記事を早速見かけた。
羽生くんは三連覇に挑戦するなど一言も言っていない。明言はしない、と言っている。
だけれど、言葉にした。
それが何を意味するのか。
こわい。こわいが、もしかしたら、ひょっとしたら、ともすれば、あるいは、本当にあるかもしれない。
originが3年、4年かかるかも、とも言っていた。
本当にあるかもしれない。。
(羽生くん、私、黒鳥も見たい。。白鳥も黒鳥もできる男子選手、羽生くんしかいないよ。。また双子設定できるよ。。)
何せ平昌後に、
「二連覇して帰ってきたことが沢山の方の幸せになっていることは間違いないし、それができるのは僕しかいなかった」
と言える人だ。
僕しかいなかった・・!
痺れる。。
とはいえ明言しないのは、現状では出来ないからだろう。不確定要素が多い。
考えたくないが一番心配なのは足の状態。
思いのほか分厚い壁という4Aが成功したら満足するかもしれない気持ち。
まもなく25歳を迎える中で心・技・体のピークを合わせていくことの難しさ。
これからの道のりは、羽生くん自身にとっても未知の世界。
だから、あくまでも延長線上。
大事なのは今一生懸命やることを一生懸命やっていくこと。
ああ!羽生くんの道はこれまでもこれからも、ずっと繋がってるなあ!
一つ一つしっかり繋げてるなあ!
よく伏線を回収するというが、それって、しっかり道を繋げてるってことだよね。
凄い!凄いな!羽生くんは!
いつもこればっかり言ってるけど本当だから仕方ない、凄いよ!!
これから歩む道も、これからも続く羽生結弦物語を、ずっと応援させてください!!!
未知への挑戦の果てに羽生くんが何を掴むのか、私はまだまだこの沼に浸っていたい。
さあ!次はスケカナ!
ライスト前応援、頑張ります!
予想以上に長くなってしまったが、あと、これだけは言っておきたい。
・羽生くんのインタは時系列がわからなくなってくるので(見た目でいつのものか判断できない)次回作では撮影日のクレジットがあると助かります!
・羽生結弦シットツイズル愛好家として「ホワイトレジェンド」は嬉しすぎました。次回作ではソチexバージョンがあると尚嬉しいです!
・パレードにおける羽生くんの美のピーキングは素晴らしい!王位即位パレード以外の何物でもないな!
オータムクラシック私感〜後編〜
この夏私は、弱虫ペダルやらCITIZENやらロッテやら西川やらの怒涛の情報の渦に飲み込まれていた。全ての機能を失ってしまっていた。
トウループ、サルコー、ループ、ルッツ、フリップ全てやってる…?
4Aのために5回転練習してた…?
5Tを(ハーネスで)2回目で降りた…?
今日はほんと調子いいから4A跳びたいって直訴したけどジスランが止めた…?
ありがとう、ジスラン。。
ハビと再開…?心底嬉しそうにハグを…?
久しぶりでちょっと恥ずかしそうだなんて可愛すぎでしょ。。
だからこそ僕がジャンプをやる際、ステップ、スピンをやる際、すべてにおいて正しい技術を使い、そして、それを『芸術』として見せることが一番大切なことだと思っているので、難しいジャンプを跳びつつ、それがあるからこそ『芸術』として成り立っているんだなというジャンプを、これからもしていきたいと思います」
言葉にして実行する。
羽生くん、凄い。
もちろん悔しい部分もあっただろうが、シーズン初戦でこの出来、今シーズン羽生くんが目指すレベルの高さを改めて見せつけられた思いだ。
それと同時に思うこと。
ああ、他の誰にも出来ないだろう、この美しさ・完成度を持ってしても今の構成では勝てないと考えているのだなと。
今できるジャンプ全てをこの完成度まで持っていく、加点を狙う。だけでは勝てないと。
1点でも基礎点の高いジャンプ構成にして、さらに、それの完成度を高めて、0,1点でも多く加点を取りにいこうとしているのだと。
フリーの「origin」ではそれがはっきりと窺えた。
羽生くん、凄い。
凄いしか言えない。
羽生くんの足の状態で、新しいジャンプを身につけようとする事に伴うリスク。
何せジスラン曰く、4Aは転べばスクールバスに衝突したくらいの衝撃があるジャンプ・・😱
ただでさえ無理な負荷がかけられない足首で、細心の注意を払いながら練習を積むことの難しさ。
もうすぐ25歳を迎える心と身体、バラバラになりそうな時もあるだろう、そのどちらも置き去りにせずに日々を過ごす難しさ。
それは羽生くんをもってしても未知の世界なのかもしれない。
そう考えると私みたいな凡人は怖さに取り込まれそうになるが、羽生くんはきっと、未知の世界を切り開くための確かな地図を描いているはずだ。
自分の感覚、経験、知識、技術、他者の見識をつめこんで。
ワクワクやドキドキもつめこんで。
だからこそ、北京にも触れた。
皆も嬉しいかな、って言ってくれた。けど。
それは勿論嬉しいし、羽生くんはそういう優しい人だと思いつつ。
羽生くんには自分の声だけを聞いていてほしい。自分の気持ちを大事に。負けて悔しい気持ちやスケートを好きな気持ちや子供のころの夢を叶えたい気持ちを大事に。
どうかどうか、怪我なく。
一歩ずつ前へ。
スポニチさん記事。オータム後のインタ。
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/09/19/kiji/20190918s00079000485000c.html
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/09/20/kiji/20190920s00079000157000c.html
今大会、特にフリーではジャッジについて色々言われているが、対処すべきところはオーサー始めクリケ陣営が対処しているだろうし(この密室性がフィギュアスケートが抱える問題の根幹だとは思うのだが)、羽生くんは羽生くんでどう対応するか考えているはずだ。
今回のジャッジがルール改正に則した正しいジャッジだったとするならば、初戦であるこの試合でわかって良かったと思いたい。
立ち止まっている時間はなくて、もう、すぐ、GPシリーズが始まる。
見とけ!世界!
羽生くんがそう言ってくれているのだから、
私は信じて、待って、応援するのみ。
今を一生懸命生きてる、と何のてらいもなく真っ直ぐに言えるこの人を、ただ精一杯。
大好きすぎる、小海途神によるお写真。
オータムクラシック私感〜前編〜
24歳にしてシニア10シーズン目。
こんなにもドラマチックに10シーズン目を迎えることになるとは幼い頃の羽生くんは思っていなかったことだろう。
24歳の羽生くんは今、孤高の高みに身を置きながらも尚、未知の世界への挑戦を始めている。
オータムクラシック2019。
恒例の公開練習が今年はなかったことで例年以上の注目度だった。
何せプログラムがわからない!
いや今思えばちゃんとFaoi楽日に伝えてくれてはいたのだが😅。
結局、今年はなぜ公開練習がなかったのかは明確にはわからない。
が何にせよ、スケジュール上の都合とか様々な事情とか戦略とか色々あるんだろうけど(負担を考えるとない方がいいかな…)、ここまでのトップシークレット感ラスボス感に耐えられる羽生くん、その時点で本当に強い。
ハートも主人公属性も。
そして、伝えられた「otonal」「origin」持ち越し。
それを聞いてまず浮かんだのは昨年怪我をしていた間に出された羽生くんの言葉。
「来シーズンは4A込みのパーフェクトパッケージを目指します!」
いよいよ4Aが現実味を帯びてきた・・?この強い思いが叶いますように!、と思いつつ、完成したその先は・・?どんな道を選ぶかな・・?と勝手に先回りして勝手に泣きそうになっていた。
しかし羽生くんはそんな一部の(私の)しんみりムードなど吹き飛ばす力強い言葉を発していた。
「負けたままで終わらせたくなかった。完成させた上で悔いなくこのプログラムを終えたい」と。
そうか、と思った。羽生くんにとって大切なプログラムだもんね。羽生くんはどこまでもぶれないなと。
しかし、次の瞬間には、そうだったのか!?と思った。それほどだったのね!?と。それほど羽生くんにとって大切なんだね!?と。
やはり私はまだまだ何も羽生結弦のことをわかっていない。
「otonal」はロステレで最高得点を更新していたし、「origin」は持ち越しの可能性あるかなとは思っていたがそれでもワールドで200点を超えたプログラム。
刷新してもおかしくはないところだが羽生くんはどこまでもどこまでもぶれなかった。
子供の頃から憧れ続ける二人に、今では同じ舞台に立ちながらも変わらぬ憧れと尊敬を抱き続ける二人に、最高の自分を見せる。
やっぱり羽生くんの心は澄み切っているかのように迷いがない。
リスペクトする人に、最高の演技を、勝利とともにーーー。
まさに奉納。
一気にこちらも身が引き締まる。
大きい声では言えないが、新プロが見たかった気持ちはある。限られた現役の時間、羽生結弦に演じてほしいプログラムは沢山沢山ある。
しかし、もはや奉納であるならば、絶対に見てみたい。
神が、自身が神と崇める存在に捧げる舞。
それが完成した時、世界は新しい扉を開く。
その時をこの目で見てみたいーーー。
と、試合が始まるまでの感想でここまでになってしまったので、一旦終わります💦
続きは後編で。。
また読んでいただけたら嬉しいです。。
本当に強い羽生結弦に。
ロッテさんのインタ。
羽生くんが、まだ限界に挑戦すると言った。本当に本当に強い羽生結弦になるよう頑張ると。
羽生くん、あなたって人は😭
FaoI神戸のインタでは、織田くんの「そのモチベーションはどこから?」という質問にこう即答していた。
「サポートしてくれる沢山の人達に対して結果で出すことが自分の役割使命」
役割であり使命だと。
「使命」とは。
1使者として受けた命令。使者としての務め。
2 与えられた重大な務め。責任をもって果たさなければならない任務。
神なる存在がいるとすれば、羽生くんはやはり神に選ばれたのかもしれない。重い務めを託すに足る存在として。
そう思うのは大袈裟だろうか?
戦い続けるモチベーションがその使命にあるとして、では、モチベーションをさらに支えるものは何だろうと考えている。
羽生くんが今いる場所は、既に高い高い場所である意味孤独かもしれなくて、そんな修羅の場所で更に高みを目指すなんて、きっとモチベーションだけでは足りないのでは?と思うから。
モチベーションを支えるもの。
フィギュアスケートが好き、という至極シンプルなものなのかもしれない。
“好き”を持ち続けるのは難しい。傷ついたり壊れたり他のものに姿を変えたりしがちだけど、羽生くんの“好き”も傷つくこともあったかもしれないけど、そっと息を吹きかけ磨きあげ大切に大切に守ってきた、今は純度100%の澄み切った“好き”になっているのかもしれない。
だから、強い。
だから、ぶれない。
応援せずにはいられない。
応援させてください。
もうすぐシーズンが始まる。
怒涛の砂漠期〜春の精霊がもたらすもの
7/28 24時間テレビ発表
8/11 進化の時 発売発表
8/21 弱ペダコラボ発表
8/22 シチズン中国発表
8/24 24時間テレビ←今ココ!
8.26 弱ペダ東京掲示
8/29 N杯通し発表
9/14.15 オータム
9/25 進化の時 発売
・一筋はらりとおでこにかかるソフトオルバ
・左眼により強く宿る光
・美しい鼻梁
・完璧な富士額、艶やかな唇、口角にそっと湛えた笑み
・白い、絹のような手
・目の前に居るかのごとき錯覚を与える視線
・首筋とシャツの間の隙間
…ああ、もう、羽生結弦…!
一周回って何か怒りが湧いてきた…!
▪️every・子どもたちとの交流
一日が経過してもまだCITIZEN砲にやられていた頃、私はまた同じ過ちを繰り返していた。
everyに翌日から放送される24時間テレビの番宣コーナーがあり、羽生くんも出ていた、らしいのだ。
もちろん録画はしていない。
だって新聞には羽生くんの名前出てなかったもん。。これで何度目だろう、この失敗。。
しょぼん(´・ω・`)。。
だからあれだけeveryは常に録画しておけと言っていたのに!
己の学習のしなさに落胆しながら有り難くツイにアップされた動画を見させていただく。
まみ先生に金メダルの報告ができたんだ。良かったね。
まみ先生からの言葉、嬉しいね。
羽生くんの目、キラキラしてた。
羽生くんを見る子どもたちの目も、キラキラしてた。
そこで羽生くんは試合への臨み方について語っていた。
一般論:自分がリラックスすることを考える
羽生理論:絶対リラックスしない。絶対勝つ、絶対負けたくない、と思ってやると集中する
羽生理論、強すぎる。
緊張するからリラックスすることをしよう、大事な試合だからいつも通りにしよう、じゃない。
緊張に真正面から向き合って勝利を思い勝利する。
この、目を逸らさない強さ、羽生結弦だよな。
真似しようと思って出来る事ではないけれど、本人の口から直接語られた言葉は子供たちにきっと響いたはず。
現役の今だからこそ、たくさんの子ども達、後輩たちと交流の機会がもっとあったら・・と思わずにはいられない。
(もちろんそれを企画するのは羽生くんではない。それこそそんな時間はない)
五輪連覇の王者でありながら、更なる高みを目指して戦っている今だからこそ。。
その言葉は重く響き未来への宝になるはずだから。
羽生くんの言葉はHopeでありLegacyだから。。
▪️「春よ、来い」
北海道胆振東部地震の被災地を訪れ「春よ、来い」を披露すると知った時は、正直、羽生くん、そんなに全部背負わなくてもいいんだよ、と思った。
もっと楽したっていいんだよ、と。
年相応に自分のためにもっと時間を使ってほしい。
スケートに関する事以外にも色んなことを犠牲にしているように感じて切なくなった。
それから少しして昨年受賞した国民栄誉賞の賞状を揮毫された方のニュースを目にして、賞状を見返した。そして考えを改めた。
あの、賛否渦巻く国民栄誉賞を受ける、と決めた時点で固めたであろう覚悟。
「普通ではいけない」と語った顔。
普通でいいんだよ結弦くん、とおばちゃんは思ってしまうけれど、羽生くんは絶対に信念を曲げない。
曲げるくらいなら受けはしないよね。
犠牲ではなく覚悟。
であれば、私にできることはとてもシンプルで、そんな羽生くんを応援することだけ。
だから今年の24時間テレビも見させてもらおう。
羽生くんが被災地にどんな春を呼ぶのかを見届けたい。
そんな、どちらかというと、肩に力が入った状態で見たわけだが、ちっぽけな私の心配は杞憂だったことがすぐにわかった。
羽生くんがとても優しい穏やかな顔をしていたから。
背負っている荷物は大きいけれど無理はしていない。
普通ではいけないのかもしれないけど無理はしていない。ように見えた。そう言ってくれているような気がした。
いや、無理することはあるだろうが、犠牲ではなく覚悟なんだと。
そして自分の行動がきっかけとなり周りの人が笑顔になる、その笑顔を見た羽生くんも笑顔になる。
私たちがもらってばかりではないのかもしれない。羽生くんも私たちからもらってくれているのかもしれない。
そう思わせてもらえて少し心が軽くなった。
被災地の方に心をこめて滑った「春よ、来い」。
綺麗だった。
春を告げる精霊がそこにいた。
会いたい人に会えない絶望、遠くなってしまった春への懐かしさ。
まだ訪れない新たな春への憧れ。
遠き春とまだ見ぬ春をつなぐ精霊。
新たな春を、ただ待ち望むのではない、自ら風を起こして呼び覚まし掴みに行かんとする、若く力強い精霊。
その精霊がもたらす春。
最後の表情は、羽生くんの言う「前を向いて歩いていけるような春」を見つけた、生身の人間の生きる喜びに満ちた表情に思えた。
あと3週間もしないうちにオータムが幕を開ける。
いよいよ、ラスボス羽生結弦2019がそのベールをぬぐ。
その時、現状を上回る羽生さん成分過多になるであろうことは容易に想像がつく。まずは公開練習でプロが判明するのかな⁈そしてSP6練で衣装も⁈
大丈夫かな、私。
それと、今年はなぜ公開練習がなかったのか。実は少し気になっている。
ないこと自体はそれでいいのだが(負担を考えればない方がいいと思う)、羽生くんは意味のないことはしないと思っているから、ではどういう意味があるのかと。
その辺りも見えてくるのかもしれないし、つまり、今シーズンを羽生くんがどう見据えているかも見えてくるのかもしれない。
と考えだすと、今から緊張でどうにかなりそうなので、正気で迎えられるよう、私も私にできることをして心を強くしていこうと思う。
まずは来週からの弱虫ペダルコラボ掲示・新宿プロムナードの戦いに臨もう。(そこ?)
羽生くんが思い通りの練習ができていますようにーーー。
春の到来。その先の世界。
今更書くことに意味があるのか迷ったが、やはりこれをまとめないことには自分の昨シーズンが終わらないので、はずかしながら書いてみようと思う。
もはや意味も何の新鮮味もなく、自分の記憶を残すためのものでしかないけれど。(いつもそうだけれど。)
大会前、私の心は揺れに揺れていた。
羽生くんがビシッと軸が通ってぶれることなく練習に励んでいたであろう頃、こちらはもうぐらんぐらんだった。
羽生くんなら大丈夫やってくれる!という至極勝手な期待と、いやでも奇跡がそう何度も起こるんか?そう何度も起こらんから奇跡って言うんだし…というこれまた至極勝手な憂慮。
この二つの感情が日毎に、というか時毎に、交互に顔を出すのだ。
とにかく気持ちが落ち着かず常に緊張していたと思う。
私が普段しない善行を慌てて施したところで羽生くんの演技に何も影響はしないとわかっていても、いつもは叱ってばかりの息子をやたら褒めたり、誰もやりたがらない任期3年のPTAの役職を受けたり(!)することで少しでもプラスのエネルギーを送るんだ!と思っていた。
鬼の意思で6階の自宅までエレベーターではなく 階段を使い、この苦行を私が担うことで羽生くんの負担が少しでも減るかもしれん!と思って日々を過ごしていた。
いや、本気で。(こわい)
新月の願い事は叶うと聞けばすぐさま紙とペンを用意してフライングしたりもした。
今思うと本当に滑稽なほど落ち着いていなかったが、つまりは、ひとえに羽生くんの勝利を祈っていた。
勝つことが全てとはその時も今も思っていないが、羽生くんが「これまでの羽生結弦をこえて己に勝った上で圧倒的に勝ちたい」との強い思いで試合に出る限り、私は羽生くんの勝利を祈らずにはいられない。
迎えたショート。
このギャラクシー感に、どんな宇宙大戦争が始まるというのか…!と気分が高まる。
私にとって初めての羽生くんの試合。
羽生くんが会場に姿を現すと、会場中の視線が羽生くん一点に注がれた。
otonalの衣装はそれまでより遥かにキラキラしていたような気がしたが実際のところどうなんだろうか。
生羽生くんの発光するオーラがそう見せたのか。
確かなことはわからないがとにかく、双眼鏡越しに「キラッキラだ・・キラッキラだ・・」と熱に浮かされたように繰り返していたのは確かだ。
オーサー&ジスランの元に滑ってくる羽生くん、水分をとる羽生くん、鼻をかむ羽生くんが正面だったので(距離はある)最初は少しはしゃいでもいた。
しかし、段々と空気はピリリッと張り詰めていく。
私にとって初めての羽生くんの6練。
ぴょん落ちスケートど素人の私には6練の出来がどうだったのか、その場ではわからなかった。
会場の暑さが演技にどう影響するのかも。
一番滑走なのに6練終了ギリギリまでジャンプを跳んでいたのを、どう調子を読み取っていいのかもわからなかった。
そして、6練で最後まで跳んでいた4Sが2Sになった時私は、「あぁ…!」とため息を送ってしまった。
私の席からキスクラの様子は見えなかったが、会場モニターに映った羽生くんの顔は明らかに怒っていた。ように見えた。
そうだろう。フィンランド、ロシアと磨き上げてきたプログラムをここ日本で完成させたかったに違いない。
己への怒りを色濃く映し出す汗の噴き出したその顔を、私はただただ悲しい気持ちで見ていた。
ミス、点数が悲しかったのではなく、今日この一日を羽生くんがこのような顔で終えることが悲しかった。
隣の席のプル様ファンの方に「大丈夫!ゆづ君のあの顔はフリーできっとやってくれるよ!」と励ましてもらって何とか帰路に着くことができた。
そして少しばかり冷静になったところで、つい俯いてしまいそうな自分を必死に振り払い、もう決して落胆のため息を送らないことを誓った。
中日。ショート前までの練習とはガラッと雰囲気が変わったことをTwitterで知る。
どんな明日が待ち受けているのか、怪我だけはありませんように、とまだ冷える夜空に願いを込める。
フリー当日。
私はここで痛恨のミス。アイスダンスが始まる時間に会場に入ったのだ。さすがワールド、もう観客席びっしりやん、と思っていた。
それが周りの方達の会話から、見れたはずの羽生くんの練習を自分が見逃したことを知った時の衝撃をご想像ください。
同情しますよね、あの魂の8分間をみすみす見逃したんですよ?
だって、だって、公開練習のチケット別売だったじゃん、何で今日は試合チケットで練習まで見れんの…?フィギュアワカラナイ…。キクヒトイナイ…。
単にリサーチ不足でしかないのだが、その時は数時間前の私を心底恨みましたよ。「早よ行かんかい」と。
でも考えようによっては見逃して良かったのかもしれない。
本来なら羽生くんが観客には見せない姿だろうから。
それと、その姿を見てしまっては緊張が度を超えて私はこわくて羽生くんの出番には席を立っていたかもしれないから。
いよいよ最終グループが会場入り。羽生くんは6人の中で一人なかなか姿を見せず、まさか怪我⁈と不安がよぎる。だから姿を見せた時は、生originのオルバの破壊力に撃ち抜かれるより何より「来た‼︎」と安堵した。
そんな自分に喝を入れる。強い気持ちで応援することを誓ったじゃないかと。
ひたすら手を合わせて祈る。羽生くんはきっとループを跳んでくる。お願い、成功しますように。
たまアリは巨大なすり鉢状のハコ。
リンクの中央から見上げると四方に壁が反り立つような景色ではないだろうか。その壁を埋め尽くす観客。
何を思いリンクに飛び出していったか。無心だったか。
その心の内を想像するだけで私なんかは足がすくむ。
否が応でも緊張感の高まる吹雪く風と鐘の音から、ループまでの時間が長く感じられる。
真っ直ぐな軸を保ったままランディング。
思わず立ち上がりそうになる。ぐっと拳を握りしめる。
耐えた4S。がんばれがんばれ!と小さく、でも強い気持ちで声をおくる。
後半、連続ジャンプの固め打ち。
4T3Aを決めたところで会場が一段跳ね上がる。
(ちなみに私は、4T3A直後のふん!ってポーズが気に入っている。どうだ!って感じがして、あの一瞬だけほっこりしませんか?)
最後のジャンプが3Aからの3連続ジャンプっていうのがいつも訳がわからなくて痺れる。
そこからレイバックイナの流れは本当に涙が出るほど美しい。
ラスト、より曲調が激しくなるアラビアンからステップの時(合ってますか?)にはもう皆お尻が椅子から浮いていたと思う。とても座ってなどいられない。
羽生くんが左手を突き上げたフィニッシュポーズが合図となって大歓声が会場の天井を吹き飛ばした。
歓声で天井が吹き飛んだ、とはこれまでも何度となく羽生くんの演技を通して聞いていた表現だが、正直どんな感じなんだろう?と思っていた。
しかし体感した身としては、まさにそうとしか言い表せない。
本当に、歓声が会場ごと大きく揺らし天井が吹き飛んだのだ。凄い。
私はひたすら「やったー!やったー!!」と叫びとびはねていた。
翌日エキシで春風を起こし、その風の中を澄んだ迷いのない表情で疾走していた羽生くんを見ながら思った。
(ここでまた、どうでもいい痛恨のミス。FaoIで散々記憶を消されてきたから今日の春さんは絶対に脳裏に焼き付ける!と羽生くんだけをガン見していたおかげで、羽生くんの動きに合わせリンクに花が咲く演出に全く気づかなかった。見たかった。時には俯瞰で見ることの大切さを学んだ)
これまで羽生くんは試合の一つ一つを未来に繋げてきた。
私はヘルシンキワールドでの勝利がなければ平昌での勝利はなかったと思っているし、平昌までの経験がなければこのさいたまワールドまでの経験はなかったと思っている。
とても書ききれないがそれ以前も羽生くんは、ずっとそうして経験を繋いできて己を強くしてきたはずだ。
であれば、この敗北にも必ずや意味がある。
羽生くんは何一つとして無駄にはしない。
必ずや近い未来への布石となる。
ただ一点、どうか怪我なく。
エキシ終了後、皆が名残惜しそうに羽生くんを取り囲むの図。遠い、遠いよ、羽生くん。
沼へのいざない。私の場合。
そんなこと2年前の今頃の私は知る由もなく、はっきり言ってしまうとフィギュアスケートに一切の興味も持っていなかった。
それからわずか7ヶ月後に私の人生は激変した。表面上は何も変わっていないかもしれないが、その中身はあるもの一色になった。
言わずもがな、羽生結弦だ。
2018年の平昌オリンピックを境に激変したわけだが、“全く興味なかったけどたまたま見たバラ1もしくはSEIMEIに雷落とされた”という話ではない。
そういう経験もしてみたかった気もするが、そうではない。
私の場合は、オリンピック前から、今思うとあまりに無防備に、知らず知らず、沼に近づいていっていた。
いつからかと言うと、あのN杯後、つまり怪我による戦線離脱後からである。
それまでももちろん羽生くんのことを知ってはいた。だがそれは、ソチで金メダルを取ってその後も活躍を続ける絶対王者という、ざっくりとしたイメージでしかなかった。
中国杯での事故や初の300点越えやヘルシンキでの大逆転など、ニュースで大きく取り上げられていただろう試合の数々を私は目にしていたのか。目にはしていたけど興味を惹かれなかったのか、今となってはそれすらも定かではない。
はっきりしているのは、羽生結弦がそれほど当時の私の世界から遠い存在だったということだ。
そんな自分に、戦線離脱を余儀なくされ苦境に立つ王者の存在が目にとまった。
オリンピックが近づき報道が過熱していく中、その情報の断片に触れるごとに「大丈夫か、羽生くん」と心配をし始めた。
その時は自己認識していなかったが、今ならわかる。
私は羽生くんに勝ってほしかったのだ。
よく知りもしない選手に勝ってほしいと願うのはおかしな話かもしれないが、他の誰かではなく羽生くんに勝ってほしかった。
世間は時に、王座陥落・世代交代なるものをのぞむ。
確かに、若さと勢いに満ちた挑戦者が圧倒的な強さを誇る王者を倒すというストーリーは面白い。
事実ソチシーズンの羽生くんはまさにそれを体現していたはずだ。挑戦者の側で。
序盤のGP2戦の敗北を布石とし、ファイナル勝利で王手をかけ、本丸オリンピックで文字通り王を奪取するーー当時を知らない自分が今見ても十二分に面白い。
しかし私はその面白さを求めるより、如何なる状況に置かれたとしても、苦境に立たされても尚、王者にはその強さを誇る王者であってほしいと思う性質があった。
王者が抱える孤独や誰より重い覚悟を思う時、挑戦者よりも強く惹かれてしまうから。
修羅の道を越えて下界からは見えない高い高い山の頂に一人立つ王者にこそ、勝利が似合う。
だから羽生くんに勝ってほしかった。
「(金メダルを)誰が取ろうと僕も取ります」
どうしてそこまで自分を追い込む必要があるのかと目眩がする思いだった。
置かれていた状況を考えれば言い訳しても許されるほどなのに、自ら退路を絶った。バッサリと。
そんなこと言ってもし取れなかったらーーと凡人の考えを抱く。
この子、こわい。そう思った。
もう羽生結弦から目が離せなくなっている。
これが羽生結弦かと。初めてその凄さを知った。
素人に何がわかると言われそうだが、テレビでオリンピックを見ていたのはほとんどが素人であり、その素人達が感動したのだ。
もちろん技術のことは全くわからない。
それでも、ディフェンディングチャンピオン、66年振り連覇の期待、怪我、長期離脱からのぶっつけ本番etcという幾つものプレッシャーを抱えてあの広いリンクに一人飛び出す、その心の内を想像するだけで胸が締め付けられる。
そこにきて、あの演技。
力みなど全く感じさせない、まるで音楽そのもの。
私の貧相な語彙ではあの演技を表現することなどできないが、とにかく、私はそれまでいた世界を根こそぎひっくり返され新たな未知の世界に誘われたのだ。あのバラ1によって。
フリーのSEIMEIは、こわかったけれどリアルタイムで見た。ひたすら両手を握りしめて。祈りながら。
緊張しすぎて、演技後は一気に力が抜けた。
喜びを爆発させる羽生くんを呆然と見ていたと思う。
本当に金メダル取っちゃったよ。凄い。凄い。
もう、凄いの一言しかなかった。
その日羽生くんは宇野くんと各テレビ局巡りをしていたが、その中で強烈に覚えている言葉がある。
私の沼落ちを決定づけた一言が。
くりぃむの上田さんとのインタで、上記の
「金メダルを取ります」発言に対しての「自分を鼓舞するために?」という上田さんの質問に羽生くんはこう答えた。
「未来を確定させなきゃダメだなと」
⁈⁈⁈
ミライヲカクテイ⁈
その後に、「ちょっとしたメンタルのコントロールのしかた」と付け加えていたが、ちょっとした?メンタルの?コントロール⁇