はもブログ

まだジャンプを見分けられないまだ国旗も持ってないスケオタになりきれない永遠の初心者はもによる、ただただ羽生結弦さんへの愛を叫ぶ、羽生結弦さん試合観戦記※ほぼお茶の間たまに現地

今ここにある世界。

ちょっと!もう4月も終わるんですか⁈

いつの間にそんなに時間が過ぎたんでしょうか⁈
何してたんだろう、この2カ月。
何もしてないな、この2カ月。
ブログも書かなさすぎて、はてなブログさんからの“そろそろ書きなよ”メールももはや来ない。まぁ、読者もいないので特に支障もないのだが…泣

ただ粛々と、引きこもっている。
社会的に生産性ゼロの私には今それしか出来ることはない。
だから本当に真面目に引きこもっている。
ダンナ1人、子ども2人との24時間×無期限の籠城生活は辛い。ずっと一緒だ。ず〜っと一緒だ。しかも城じゃないし。狭い東京の狭いマンションの一室だし。あぁ辛い。

何が辛いって一人の時間と場所がない。
羽生くんが見れない。
羽生くんの録画が見れない。
羽生くんの試合が見れない。
羽生くんが表紙の雑誌ばかり読むわけにもいかない。
スマホばっかり見てるわけにもいかない。
ただでさえスマホ中毒って言われてるんだから親の威厳をギリギリ保つためにもこれ以上スマホばっかり見てニヤニヤしてるわけにもいかない。
そしてアイスショーもない。
初めてのSOI、PIW、さようなら。
羽生くん、PIW仙台、出演のご予定はありましたでしょうか。



そんな風に、当たり前の日常も、生きる糧にしていた楽しみも、なくなってしまった。

世の中は大きく変わってしまった。
既存の概念という概念が大きく覆されようとしている。
毎日学校に行かなければならないのか。(行ってほしい)
毎日会社に行かなければならないのか。(切実に行ってほしい)
何が急で何が不急なのか。
何が必要で何が不要なのか。


そんな世の中の大きな畝りの中ではスポーツは今、“不要不急”のものに括られている。
仕方のないことだ。命に代わるものなんて何もない。


ワールド2020は中止になった。
年が明けた頃にはまさかこんなシーズンの終わりになろうとは想像だにしなかった。

だからこそ考えてしまう。
ギリギリのタイミングで四大陸選手権が開催されたことの意味を。


私達が今確かに知っている唯一の世界は、四大陸が開催されワールドが開催されなかった世界だ。

四大陸もワールドも開催された世界ではない。
四大陸もワールドも開催されなかった世界でもない。


四大陸選手権
全日本後、羽生くんは本当に本当に落ち込んだだろう。
フジ「羽生とゆづる」のインタビューで見たように、もうこのまま羽生くんの心に灯るろうそくの火は儚く消えてしまうかもしれない、とさえ思えた。
「羽生とゆづる」を見たうちの子供たちは、見たことのない羽生くんの様子に呆然としたような顔で「羽生…調子悪いの…?」と聞いてきた。
勿論そうではないことは私達ファンは知っている。
GPFと全日本、負けがついた2試合だけをことさら強調し、シーズン全体を通して見ようとはしてくれないテレビ的在り方でしかない。
だがそうと分かってはいても、子供たちが心配してしまうほどに、その時の羽生くんは消えてしまいそうだったのは確かなのだ。

これを乗り越えるには勝利、そして自分は自分であるという自信が必要。
ジスランも言っていた。「結弦が結弦であるために」と。

言うのは簡単、実行するのは難儀な事を、羽生くんは全日本から一月足らずの四大陸で成し遂げた。
自分の力で羽生結弦羽生結弦である事を証明してみせた。
消えてしまいそうに見えたろうそくの火がまた青く灯った。
赤く灯るより熱く。


スーパースラム達成も歴史に残る快挙で嬉しいけれど、それより何より一番嬉しかったのは羽生くんが自分の方向性は間違っていないと自信を持てたことだった。
ワールドへ向けていい練習ができるだろうと思っていた。
シームレスなSEIMEIを演じるために。
最強の自分だと胸を張って言うために。

しかし、ワールドが中止になった。
今シーズンに突然幕が下された。
そして羽生くんは、来季の現役続行を明らかにしている。

そういう世界に私達は今いる。



四大陸がギリギリのところで開催されたことと、ワールドが中止になったこと、それぞれは偶然かもしれない。
しかし偶然を辿っていくと、それはいつか必然だったと感じるようになる。偶然を積み重ねた先に振り返ったとき、それは運命だったと思うようになる。


羽生くんはこれまでもそうだった。
一つ一つの出来事はその渦中においては点と点の偶然にしか見えないが、節目にそれらの点を振り返ってみるといつも見事に一本の線になっている。
何も横道に逸れないのだ。
いや、逸れることはあるのかもしれない。ジグザグな道になることが。
それでも決して途切れない。途切れさせない。道はただ一つ。
羽生結弦という道のり。

だから、今の点と点もきっと、この先のどこかに到達する途中の点と点なのだと思っている。




まだ混乱の只中にあったワールド中止が決定した直後、クリケットクラブの仲間と一緒に世界中のファンに向けて羽生くんはメッセージをくれた。

「僕たちクリケットのチームとして来シーズンも頑張っていきます」

来シーズンへの意気込みを語ること。

羽生くんにとってのそれは、他の誰より覚悟を伴うことではなかっただろうか。

とてもとても重い言葉。

現役続行は勿論嬉しいが、その重さをしっかりと受け止めることができずにいた。


それがジュエルズでのインタビューを読んでシンプルに、

ああ、羽生くんはやっぱり4Aを跳びたいんだなと思えた。

もっと言えば、4Aを跳んで勝ちたいんだなと。

北京まで!とか、三連覇!とかではなく、やっぱり4Aなんだなと。


もう、なんだろうね、4Aって。羽生くんにとっての何?3Aが親友なら4Aは…。

…ジェラシーすら感じてきた。



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(SEIMEI様ぁ…!またいつかお会いしたく存じます…!そしてその手で捻り潰されたい所存…!)




まぁジェラシーはともかく、

私の勝手な解釈と言われればそれまでだが、私はジュエルズでの羽生くんの言葉をそう解釈した。


そして気付けば、受け止めきれずにいたものが自分でも驚くほど軽やかにストンと胸に落ちていた。

本当に、なんて人だろう。

なんて真っ直ぐな人だろう。


真っ直ぐであるがままで、いつも前を向かせてくれる。

きっとそれがスポーツの力であり、羽生結弦という稀代のアスリートが持つ力なのだと私は思う。


本当はこんな苦難の時だからこそ必要な力なんだよね。





コロナが終息した時、不要不急で切り取られた価値観はどんな新しい世の中を作っているだろうか。

まだ何かを見通せる時ではないけれど、その世の中でスポーツが、羽生結弦が果たすものは決して小さくないはずだ。

その時のために今は体を休めて力を蓄えていてほしい。



私は私で微力ながらできることを。

一日も早くコロナが終息しますようにと願いながら、明日も私は、ただ粛々と引きこもる。



四大陸選手権2020私感〜結弦が結弦であるために

四大陸選手権2020

沼落ちしてから何度思ったかわからないが、
今大会もまたしてもドラマチックな試合となった。
羽生くん、あなたって人は。

大会直前にバイオで皆の知るところとなったプログラム変更、SP世界最高得点の更新、初の四大陸制覇。

2011年16歳で初出場2位、実力からすればその後いつでも獲れたかもしれないタイトル、普通に考えればワールドよりオリンピックより先に獲れたかもしれないタイトル、ワールドを2度オリンピックを2度制して最後に残ったタイトルを、初出場から9年後の25歳で獲るなんて、羽生結弦劇場は本当に先が読めない。

そして、獲り切ったということが凄い。
なぜなら、最後のチャンスだったかもしれないから。
来季以降のことなどどうなるかなんて誰もわからない。
(羽生くん本人は何かしら決めているかもしれないが)
引退しているかもしれないし、現役を続けたとして出場したかどうかなんてわからないのだ。4Aに挑戦する以上いつだって怪我のリスクもある。
そんな中、獲るべきものをきちっと獲ったのだからやっぱり凄い。
ネイサンがいない、宇野くんがいない、という人もいるかもしれないが、はっきり言ってそんな事は関係ない。
羽生くんがいつも言ってることだが、記録は永遠に残る。
今大会残る記録は、羽生結弦がSPで世界最高得点を更新し四大陸を制したということと、それにより羽生結弦がスーパースラムを達成したということ。それが全てなのだ。

羽生くん、本当におめでとう。

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羽生くんだって怖かったはずだ。
全日本以来の試合。
MoIでのインタでは氷の上に立つのが怖かったと言っていた。
その気持ちは今大会でも少なからずあっただろう。
ジャッジへの疑問はあるが、それより何より、ミスをしてしまうことへの怖さがあったと思うのだ。
羽生くんの中の羽生結弦の根っこの部分がぐらぐらと揺れていたのではないかと思うのだ。
率直に言うと、自信をなくしかけていたのではないかと。

メディアが煽るように今シーズンがどん底だったなどとは勿論思っていない。
昨シーズンからブラッシュアップをはかりながら、スケカナで見せた演技ははっきりと記憶に刻まれている。
(メディアは何故か今全く触れないけどね)
怪我にも細心の注意を払い、その努力の甲斐もありここまで怪我なく来れており、GPFではネイサンへの闘争心も強く漲っていた。

ただ、ここ、という時にミスがあった。
GPF、全日本とそんな試合が続いた。
全日本までのスケジュールは確かにハードだった。しかし、このスケジュールが決まった時点で(どのようにアサインが決まるのかはっきり分からないが)羽生くんはやれると腹を決めたはずだし、その為の計画を綿密に立てたはずだ。
が、結果として計画の通りにはいかなかった。

GPFでのジスランのアクシデント、SPのミス、そこに何かしらの意味があるのではないかと考えた極限状態、消耗した体力と精神力、そこから回復しきれないままに臨むことになった全日本。

計画通りにいかなかった要因は様々あるだろうしファンはそれは分かっているから大丈夫だよ羽生くん!と思うのだけれど、氷の上に立つのは羽生くん。
羽生くんにしてみたら怖くてたまらなかっただろう。またミスをするんじゃないだろうか?と。

エテリコーチの言葉を思い出す。
「過去のメダルは助けてくれない。次の大会で全てを証明するまでは何者でもなくなる」

そう。非情な言葉にも聞こえるが、競技者にはそれしかないのだと思う。
ミスをする怖さはノーミスの演技でしか払拭できない。

そして見事に羽生くんはそれをやってのけた。バラード第1番という最高のパートナーと共に。





スッと立つ背筋、柔らかい肩からふわっと伸びる両腕、滑らかに流れるフリーレッグ、風になびく少しの乱れさえも完璧な髪型、伏せた顔。
はあぁぁ…美しい…。

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プログラム変更には賛否両論あるだろう。
そんなことは本人が最初から分かっての上だから、私達がどうこう言うことではない。

羽生くんが現地入りした時、“あなたの決断を支持します”というようなメッセージを掲げていたファンの方がいたが、支持されようがされまいが本人にとってはどうでもよかったのではないか。私達には分かるはずもないほどに深い涙や不安や迷いの先に決めた、自分の道を信じるために今必要なプログラム。私達の前に姿を見せた時点で羽生くんの意識はとうに高い所にあったはずだから。



そして羽生くんは伝統芸能という言葉を使った。一つのプログラムを究極のさらに先まで極める、そんな新しい道の可能性を提示したのだ。そんな選手は他にいない。


一昨年のジャパンオープンのあと、町田樹くんがプロ引退セレモニーで「みなさんの力でフィギュアスケートをブームから文化に変えていってほしい」と言った。

私は町田くんを見るためにジャパンオープンに行ったし、町田くんの演技からは確かに町田くんにしかできない世界観を肌で感じることができて満足しているのだが、この言葉には違和感を感じた。
それ、うちらに言うん?一番に言うべきはスケーターでは?と。
スケーターの意識がそうなってこそ、それを見る人達の意識が変わっていく、と思うのだけれど違うのかな?
見る側だけそのような意識を持ったところで、スケーターが見せる演技にそれを感じなければ文化になどなるはずがないよ…と。

だから町田くんに聞いてみたい。
今まさに競技という舞台でそれを成そうとしているスケーターがいることを、あなたはどう見ていますか?と。
おもしろい話が聞けると思うんだけどなぁ。




ちょっと話が逸れたけど、
さあ!羽生結弦羽生結弦になれるプログラム。
世界選手権まであと一か月。
SEIMEIをどこまで仕上げられるか。
4Aを入れてくるのか。
まだ降りれていないという現状を考えると今ここで無理はしてほしくない(ただリミットはあるだろうな…というジレンマは感じている…)、また、ここまで要素が凝縮されてるのだから4回転4本で精度を高めるのがいいのでは…なんて素人は考えてしまうが、どうなるか。
やっぱり5本必要なのか?と思わせるほどにネイサンの今の安定感はすごい。
不安が尽きないジャッジへの願いはただ一つ。ルールのもとに正しい点数をつけてほしい。

だけど、そんな中でも、羽生結弦羽生結弦になれた時、それはやっぱり無双なのだと、私は強く信じている。
改めてそう信じる力をもらった四大陸だった。



今はまずは体を回復させている頃でしょうか?
どうか怪我なく心身共に健康に世界選手権を迎えられますように。



そして、オトナル、オリジン、ありがとう。
あなた達がいてくれたから、羽生くんはきっとまた強くなれるよ。




全日本2019私感

1/17にツイッターに書いてたけど長くなり過ぎて誰も読まんわ!と思ってUPしなかったもの。

もう消そうと思いつつ消せなくて、やっぱりこの時の感情は残しておきたくて、こちらにUPする。自分用に。





現地観戦だった全日本フリー、録画を今日まで見ることができずにいた。今日、見た。結果はわかってるのに、凄く緊張した。無意識に「よし!」と声を出して鼓舞して再生ボタンを押した。


羽生くんはキスクラで点数が出る間一度もカメラを見ず、ただ一言“I know”と呟きプーさんの頭を優しくなでた。


直後インタビューエリア、宇野くんのあと係の人に“羽生くん”と呼ばれるまで壁の方を向いていた。

インタの回答は最小限の言葉だった。


涙は見せなかった。

泣いていいよと思うけれど、羽生くんにとっては人前では見せたくない涙だったのかもしれない。

必死に自分を保ち涙を飲みこんでいた。


それでも、いくらも時間がたたないうちに行われた表彰式、会見、テレビ出演では笑顔を見せた。勝者を讃え、後輩をリスペクトした。


翌日には、極点のSEIMEI、EXを全力で楽しむ姿、沢山の笑顔を見せてくれた。







何故録画を見ることができなかったのか、考えた。

勝たせてあげたかったからだ。


どの立場で言ってんねん!というのは承知しているが、本音だった。

完治しない怪我を抱えたままの久しぶりのシーズンフル参戦、ハード過ぎる連戦、25歳という年齢、誰より重く肩にのしかかるプレッシャー、それでも証明しなければならないもの。

そんな姿を見て私にできるのは、

神様、どうか勝たせて、

と願うことだけだった。


だから、今回の結果が羽生くんにどう影響を及ぼすかが怖かった。

羽生くんの中の羽生結弦という大きい幹の根っこが崩れてしまわないか怖くて、それを目にするのが怖くて今日まで見れなかった。


実際のところ羽生くんの心の内がどうだったかは、勿論わからない。


わからないけど、

涙を飲みこんだあの日の羽生くんは誇り高くもあり、とても人間らしくもあった。

“弱かった”と自分に憤り悔しがり、

“何もない”と言った。


そう言えた人間らしさはきっと、“弱かった”自分を受け入れてあげることができたんじゃないだろうか。

MoIでの笑顔はそんな笑顔にも見えた。





家族とサポートしてくれるチームとちびゆづくんもいる。

何もなくなったというなら、新たに一つ一つ作っていくのに、強力な力になる存在が。



だから、羽生くんは今また前を向いているはず。

まずは四大陸に向けて。

世界選手権へ向けて。

限界の5歩先へ向けて。


今の自分のために。

がんばれ、羽生くん。





そしてどうかこれだけは言わせてください。

あなたは何もなくしてなんかいない。

少し落ち着いたら、周りを見て。

自分の手を見て。

自分の体の声を聞いて。

あなたがこれまで戦ってきた全てがそこにあるよ。





MOI2019私感

メダリスト・オン・アイス2019



昨日のSEIMEIは奇跡のようだった。


私は平昌オリンピック前からそろりそろりと羽生沼に無意識に引き寄せられて、本番のバラ1で「ここが…羽生沼…!」とそれまでに見たことのない新世界の淵にたどり着き、「さあ、どうぞ」とその新世界への扉をすっと開けてくれたのがSEIMEI様だったわけだが、まさかSEIMEI様に謁見できるとは思っていなかった。




羽生くんはとても緊張していたそうだが、だからか、凄まじくきんきんに研ぎ澄まされた集中力が演技に見事に昇華されていた。

スタートポーズから感じさせる体のキレ、羽生の体から音が鳴ってないか…?と思わせる音楽の表現、競技では見られないムーブ(小さなホップとかバッククロスとか3Aの長く残したフリーレッグなど。素人だからよくわかってないけど)、しゃなり感も艶を増し、ショートバージョンとはいえ、おいおい平昌を超えてきてないか…?と動揺さえさせるものだった。


羽生くんから観客へのクリスマスプレゼントということだったが、クリスマスどころか正月まで一気にやってきた感。




SEIMEI様のお辞儀もあなかっこよく、

え…?私、こんなにSEIMEI好きだったっけ…?たしか強火のバラ1党だったはず…と自分で自分に困惑も。



何が凄いってこれがエキシビションということじゃないですか。

パリ散、春こい、スワン、SEIMEI様、と今期見せてくれている訳ですが、どれも意味がある。

毎回あれかなーこれかなーと想像するも当たった試しはなく、でも毎回不思議と、あぁそれしかないよねぇとストンと落ち着く意味が。


特にパリ散・SEIMEIはリベンジの意味も込めた伏線回収も素晴らしく。


「思い出を汚したくない」という言葉を聞くと、競技とはまた違うが、ある意味では競技以上の準備を必要としていると思われる。

通常なら一年こなすうちに段々とこなれていくものを、ここ一発で最高のものを見せるんだという気概。

人の何倍ものエネルギーを要するだろう。


そりゃあ消耗も激しいというもの。




でも、だから大好きなんです。

不器用だけど、とことん真っ直ぐな羽生くんが。


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勝ち負けでは確かに負けがついた全日本。

悔しくて悔しくてたまらなかったはず。

心に追いつかなかった体に困惑し、それもまた悔しくて悔しくてたまらなかったはず。

根っこの性格なんてそうそう変わるもんじゃない。


それでも必死に涙を胸にのみこんだ。

今の自分の置かれた立場、自分がこうあるべきと思う姿を見せてくれた。

これこそ、王者の品格。


ズビズビと涙するファン(私)に「こんなもんじゃ終わらない」と背中を押して前を向かせてくれた。

幼い頃からの仲間と自らの後を追いかける後輩達との笑顔をたくさん見せてくれた。


そして、昨日のSEIMEI。



ありがとう、しか言葉がない。





私は本来、アスリートに「ありがとう」というのが好きではない。

感動をありがとうとか勇気をありがとうとか。



大河ドラマ『いだてん』に東京オリンピックで金メダルを取った元選手が出て、こんな事を言っていた。


勝ってよかったねってみんな喜んでくれているけど、

あんた達のためやない、自分のためやって、自分にはそう言い聞かせていた。と。



これだと思うんだよな。これなんだよ。

血の滲む努力を人のためにやれるのか、と。

自分のためにやるんだろうと。


私達はその姿に勝手に心打たれてるだけで、アスリート本人は、そんな私達のことは頭に入れてくれなくていい。自分だけに集中してほしい。

私達からアスリートへの一方通行でいいと思っている。


それが「ありがとう」と言ってしまうと、双方通行を求めているような気がしてしまうのである。

血の滲む努力の他に背負わなくていい荷物を背負わせてしまうような気が。


だから、アスリートに「ありがとう」というのは好きではない。




なのに、羽生くんには「ありがとう」しか出てこない。

何故かはわかっている。

さっきも言った沢山のものを、羽生くんが私達に見せてくれるからだ。

あの(逞しくなったけど)華奢な体からは想像もつかない熱量の想いを惜しみなく与えてくれるからだ。

あのくしゃくしゃの笑顔で「ほら!受け取れ!」と言ってくれているからだ。

ああ、受け取っていいんだ、と思わせてくれるからだ。


だから、出てくる言葉はやっぱり「ありがとう」でいいんだろう。


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ありがとう、羽生くん。


全日本は、疲労が蓄積されてようが調子がどうだろうが、それでも証明しなければならないものがある、と孤高の戦いに挑む戦士のようだった。

かっこよかった、羽生くん。







だからこそ、何周回ってるかわからないけど、今度こそどうか自分のために。


私達のことはほっといて、あなた自身、羽生結弦のために突き進んでください。

私達は平気です、ほっとかれるのも嫌いじゃないですから。



四大陸、そして世界選手権に向けて、

いざ!限界突破!負けんな、羽生くん!

(さすがにまずはしっかり休んでくださいね!)


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グランプリファイナル2019私感


グランプリファイナル2019。


今、わくわくしてる。
わくわくし過ぎて鼻血出るんじゃないかって位にわくわくしてる。
綺麗事でもなく強がりでもなく。

試合直後は悔しさが勝っていた。
ネイサンの安定の強さを見せつけられた後は「くっそー!ラファ…!」と何か間違った感情のぶつけ方をしていた。
ジャッジへの疑問もある。

でも、羽生くんの、悔しさも含めて清々しい顔・言葉を見て聞いて思ったこと。
いやこれ、伸びしろしかない!と。

SP後に構成を変えたプログラム、当然滑り込んでいない。ほぼ、ぶっつけ本番。
それが、4Loも4Lzも綺麗に決めた!

正直に言うと、どちらのジャンプも不安が消えなかった。
練習では成功していたけれど、試合の曲の中で決めるイメージが持てなかった。4Loは試合毎に良くなっていたがまだ不安定さはあったし、4Lzは怪我の原因になったジャンプであり、FaoIでずっと挑戦していたのも見てたからまだ現実感が持てなかった。
だから、その悪いイメージを必死で振り払い、できるできる!と言い聞かせていた。

それがどうだろう。
降りた!なんてレベルではなく、曲に溶け込んだ美しく軽やかな2本だった。
今まで苦戦していたのが嘘かのような。

もっと、加点もっとだろ…!とも思えたし、後のジャンプもミスがあったこと、何よりほぼぶっつけの構成だったことを考えると、伸びしろしかないのである。

五輪二連覇のリビングレジェンドであり、GOATと呼ばれる存在であるにも関わらず、伸びしろしかないって!、わくわくするでしょそりゃ!
この構成を滑り込んだらどんなものが見られるのか、そしてその先に4Aという扉を開いたら、もうそれは見たことのない新しい世界が待ってる未来しかない!

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と、フリー後に書いた。
相変わらずうっすい文章だが興奮だけは伝わるだろうか。
無理もない。4種類5クワド!ミスはあったが、ここで4Loと4Lzを完璧に決めてくるとは!
平昌でやりたかった構成を平昌から2年後の今に超えてきた!
どうしてこうも、毎試合毎試合ドラマチックなの!

フリー演技直後のインタビューも羽生節が炸裂していた。
「早く練習したい」「めちゃくちゃ練習します
楽しむしかないですよ、旧採点の頃の点数まで抜かれてめちゃくちゃ悔しいですし、今に見とけって思ってます!

これも私を更に興奮させた。冒頭に戻るが、わくわくが止まらなかった。なかなか寝付けなかった。


だが、ここで感想を書く手が止まってしまった。
翌日のインタビュー、エキシビションでの羽生くんが、一日前の、羽生節を炸裂させていた羽生くんとはガラリと変わっていたから。
ほとんど眠れなかったのではないだろうか。たくさん泣いたのではないだろうか。
そう思わせる、何かがストンと落ちたような空気を纏っていた。

修造さんのインタビューで。
「終わったなーという安堵感と終わってしまったなーという悔しさ」
「正直言うと勝てる気がしなかった。絶望を感じながらここで残したいって思ったものが4Aだった。色々なものを賭けてやってた」
「この構成でノーミスできる可能性って1割も満たなかったので思い切りできた」
「小学生の頃みたいにミスしてもいいや、ただ、見てオレこんなに出来るようになったよ、こんなに出来たよっていうところを見せたいなって」
「試合を楽しむってことは好きじゃないけど、他の選手にとても失礼なので、だけどスケートが楽しかった」


エキシビション演技直後のインタビューで。
「とても言葉では表現できない位の情報と感情が頭の中を巡っていて正直何が正解か、自分の感情も何が正解かわかっていない。
ただ今日こうやってこの場所で幸せを感じながら滑って、何かに触れる喜びだとか、何かと共にする、このスケートの感覚とか皆さんと一緒にいる空間とかが、こんなにも愛おしく思えた瞬間ってなかったと思うので、そういったものを皆さんが感じるようなプログラムだったらいいなと思っています」

そして、カメラの向こうを真っ直ぐに見て「応援ありがとうございます」と深いお辞儀をした。
一瞬、「応援ありがとうございました」と言ったのかとドキッとした。

一言一言をゆっくりゆっくり紡ぎ出していた。
頭の中を巡る思いをほどこうと、一心に自分の心の声に耳を傾けているようだった。

その様があまりに美しくあまりに切なかった。



そんな私の感傷は関係なく、次の試合・全日本は数日後に迫っている。
自分の感情も何が正解かわからない、とまで言った羽生くんが、ファイナルからの短いインターバルでどこまで体と心に休息を与えられるか。
この一ヶ月でN杯から数えて3戦目。
疲労は蓄積されている。
しかし全日本は、羽生くんのそんな状況を踏まえるほど優しい試合ではない(ように思える)。
ファンとしては怪我なく羽生くんの思う演技をしてほしいというのが願いであり、こんな事は言いたくないが、
この試合に限っては“勝つ”ことが大事なのではないだろうか。色々な雑音をかき消すために。本当はそんなもののためにスケートをしてほしくはないのだけれど。


だからプラスの気を送ろう。応援しよう。がんばって!と声を送ろう。

これだけの事を成し遂げてもまだ「はい上がっていかないと」って言える、「正解がわからない」と迷う、それでも「スケートが楽しい」と言う、

そんな羽生くんに送りたい言葉はやっぱり、がんばって!だから。



羽生くん、ファイナルも最高だった!
怪我しなかった!
全日本もがんばって!

そして、お誕生日おめでとう!
25歳も幸せをたくさん感じられる一年になりますように!
いざ!限界突破!

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NHK杯2019〜完全なる私感


羽生くんの抱える緊張と不安・怖さとはどれほどのものなんだろう。



私は思っていた、逆境は嫌いじゃないと言ってきた羽生くんだから、満足に足りる結果じゃなかった試合も、怪我をした経験も、プラスに変える力の1つにしてきたと。そうしてきた事を戦歴が物語っている。


が、羽生くんが言葉にするほどに、見ている側にも緊張がひしひしと伝わるほどに、大きな大きな不安、トラウマと言っても差し支えないものにもなっていたんだと言うことに、今思えば不思議なことだが思い至らなかった。

2年続いた怪我でさえ、いつまでも落ち込んではいられない!と羽生くんはすぐ前を向いてきた、そう思っていたのかもしれない。

うん、羽生結弦がトラウマを抱えることなどないと思っていた。


とんでもない。羽生くんも一人の、本来ごくごく普通の青年に違いないのに。不安と恐怖に押しつぶされる日もあったはずなのに。



それでも己の真なる声に耳を傾け、弱さを知り不安と向き合い、受け止めた上で不安を乗り越える。

それこそが今の羽生結弦の強さなのかもしれない。


そこには羽生くんを支えるチームがある。

今シーズン、これまで以上にチーム、特にオーサー・ジスラン両コーチとの結びつきの強さを感じる。


練習中の雰囲気も、演技直後のアイコンタクト、今大会フリーに至っては演技中にも確かに目で会話していた。

オーサーも怪我なくやりきることが使命だったと話し、ジスランもフリー後の羽生くんに恐怖を克服できたと讃えていた。


それはつまり、羽生くんの抱える不安を理解してくれていたということだ。
羽生くんが実際に2人に言葉にしていたのか、言葉にはしなかったが2人が汲み取ってくれていたのか。

どちらにしても、羽生くんの不安を共有してくれる2人がいてくれることが嬉しい。

羽生くんと2人、ひいてはチームとの間にそれだけの絆ができていることが嬉しい。


共有すると言う事は分かち合うということ。

私たちは何もできないが、羽生くんの不安を少しでも分かち合える存在が一番近くにいる。特にジスランは信頼すると共に時に甘えられるベストパートナーのようにも見える。

コーチなんだから当たり前だと思われるかもしれないが、そんな簡単な話ではないはずだ。


その絆は勝手に生まれたものではなく、羽生くんがスケートに対して常に真摯に全力で向き合ってきたからこそだと思う。

まっすぐな気持ちは人を惹きつけて離さないから。


羽生くん、ほんとにほんとにほんとに頑張ってきたんだなぁと胸が熱くなるんだ。そしてこのチームならまだまだどこまでもいけると思うんだ。



gettyさんお写真より。

いやぁ、またジスラン尊い期が到来したわ。

ありがとうジスラン。ちょっとそこ代わってジスラン。

https://www.gettyimages.co.jp/



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NHK杯ラストのラスト、EX後、羽生くんは何に「さよなら」を言ったんだろう。

単にこのNHK杯が無事終わったことへのさよならだったかな。

そう思いたいがそうでは無い何かを感じさせるものがあった。


羽生くんは「自分ができるマックスの構成ができなくなったらやめると思う」と言った。

明確な期限はなくても羽生結弦としてのあるべき哲学がある。


だから、羽生結弦にしかわからない昨日までの羽生結弦との違いで、ある日突然ばさっと幕を降ろすのかもしれない。


また、今大会も抱えていた怪我への恐怖もある。

もういつやめてもいいように、との思いがあるのかもしれない。

投げやりなのではなく、むしろ真逆で、いつでもやめれる覚悟を持ってより一層目の前の一つ一つに極限の集中をしているのではないかと。

(200%私の勝手な推測でしかなく不快にさせたらすみません)


ガンジーの言葉を思い出す。

「明日死ぬかのように生きよ




羽生くんが思う羽生くんの道を進んでくれれば良い。私はそれを応援させてもらうだけ。と思いつつ…


ものすごい我儘なのを承知で言うと、まだ、もう少し、、いやもっと、私は羽生結弦を見ていたい。羽生結弦が全てをぶつけ、全てを出し切るスケートを。

一日一日どころか“一秒一秒を積み重ねて大事にしたい”と話す羽生くんが、一秒一秒を積み重ねた先で「これが羽生結弦だ」と胸を張って言えるその時まで、

私も祈祷班として、今日も羽生くんの健康を祈ろうと思う。


ガンジーはこう言葉を続けている。

「永遠を生きるかのように学べ」








ところで羽生くん、羽生結弦・光る汗・頬に添えた透け手袋、の3点セットは破壊力強すぎます…!

鬼スコアのクレジットがなければ、もはや試合直後のアスリートとは思えません…!


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スケートカナダ2019・私感〜He has a heart of gold〜


新たな試合は、またしても生涯忘れ得ないだろう試合になった。
スケートカナダ2019。



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スケカナ4度目の挑戦にして初戴冠、322,59点というハイスコアもだが、

あの羽生結弦羽生結弦であることに迷い自信を失いかけ、羽生結弦が歩んできた道を信じきれなくなっていた、ということが衝撃だった。



先のオータムに顕著に現れたジャッジの不明瞭さ。

多くのファンは思ったのではないだろうか。
実施されているエレメンツに対してジャッジが正当なジャッジをしないのであれば、いっそのことつなぎを外してジャンプに集中するプログラムにしてみては…!と。
そうしたらどれほどのスコアが出るのか…と。

しかし、しかし、それは羽生結弦のプライドが許さないだろう、羽生結弦は絶対にそれはしないだろう、と。
羽生結弦が歩んできた道を否定するようなことは絶対にしない、と。

それがどうだろう。羽生くんがそれをしようとしたのだという!
今大会もし羽生くんがこれまでのスタイルを捨てた演技をしていたら、、
これはスケート界全体に与える影響として大きな意味を持つ。
これから先この競技が進む道を変えさせてしまったかもしれない、それぐらい大きな意味を。

羽生くんがそれをしようとした中で、最終的に何が、自分にはやっぱりその道ではない、もう一回ぶつけてみようと思わせたのかまでははっきりわからない。
わからないが、この事実が今あることに感謝したい。

もう一回ぶつけてみよう、
それにはどれほどの勇気が必要だったことだろう。
そんな不安・葛藤を抱えながら、反面“スケカナ”、“300点”というプレッシャーを自分にかけてもいた。

本当に何という男だ、羽生結弦
こんな局面でも自力で扉をこじ開けた。



そして胸に強く響いたのが「ジャンプで表現できるよ」という言葉。

自己肯定でもあるし、王者がフィギアスケートの進むべき道を指し示したスケート界全体へのメッセージでもある。

技術だけでも表現だけでもない。ジャンプさえ表現の1つ。
技術も表現もどちらも含めたパーフェクトパッケージこそフィギアスケート。
これぞ羽生結弦。本当にかっこいいし尊敬する。

今年1月の欧州選手権後のハビの言葉も思い出す。
「スケーターとはジャンプだけでなくスケート全体が評価されるもの」

“ジャンプで表現できる”ことを共有できる数少ない仲間の1人であろうハビの言葉。

羽生くんは、誰も達していない領域に達していると言う意味で孤独であるかもしれないが、一人ではないと思えるのだ。
一緒に食事したり外出したり、と言うわかりやすい友達関係ではなくとも、確かに2人の間につながる絆を感じる。
スケカナとは直接関係はないが、このタイミングでそんな2人が西日財団賞を受賞したことにも、やはりなにがしかの縁を感じずにはいられない。


https://www.esjapon.com/ja/vii-premios-fcej-34288


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(2人で受賞なんて、尊すぎる…)




そんな重い覚悟とプレッシャーを抱えていながら、それでいて、とてもとても澄み切った穏やかな顔をしていた。


集中の仕方を探っているということだが、あの穏やかさは手探り状態の中でコントロールしながら出てきたものだったのだろうか。

それとも、一人のスケーターとしてだけではなくスケート界全体を牽引する存在としての責任感のようなものがそうさせたのか。

それとも、これから来たる更なる飛躍の前の静けさ、凪のような状態にあったのだろうか。

今はまだわからない。今後の羽生くんがいずれ答えを見せてくれるだろう。

それが何だとしてもこれまでの羽生結弦とはまた違う、一段ステージを上げた羽生結弦を感じさせた。


きっと今大会の経験は、今後の試合への臨み方を考える時、新たに使える経験として羽生くんの中にストックされていくはずだ。

経験は増えていくが、年齢も状況も変われば、使えなくなるものも出てくるのだろう。
いつでも引き出せるこれまでの経験、今後に使える新たな経験、それらをまたうまく脳内のファイルに一つ一つ整理していける、そんなきっかけにもなったのではないだろうか。


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スケカナ2019はまさかのパリ散で幕を閉じた。

懐かしいものをやっていきたいなっていうのがよみがえってきた、と優しいことを言っているが、

スケカナ2013のリベンジをきっちり果たしにきたんだよね。
大好きだよ、そういうところ。

今シーズンEXはこの流れでしょうか。
色々妄想していいのでしょうか。
妄想するだけなら自由と許していただけるでしょうか。
いいよ、という声が聞こえた気がするので、妄想だけ失礼します。
24歳のレッツゴークレイジーとか、
25歳のダムパリとか、
25歳のChangeとか、
25歳のオペラ座とか、
25歳のパガニーニとか、
25歳のSing Sing Singとか、
25歳の、、、
すみません、妄想が止まりません。




私は羽生くんしか追ってないからわからないんだけど、こういう選手って他にいるのかな。

過去プロを試合のように魂を込めて滑り、幾つになっても愛を込めて大切に滑れる人。

であると共に選曲・衣装含めて観客を熱狂させるエンターテイナーでもある人。



過去プロを全く色褪せさせず、更にその時その時で新しい色付けをして、忘れ得ぬ記憶を常に残してくれる。

一つの景色が季節ごとに色合いを変えながら見る者の心を満たしてくれるように。


18歳の青いパリ散も、24歳の成熟のパリ散も、どちらも今一度しかない一期一会の演技だった。


羽生結弦という希有な存在に出会えて本当に幸せだ。






これからNHK杯、GPF、全日本と年末までハードなスケジュールが待っている。
ここ数シーズン出場が叶わなかった試合、なんとしても出場したいだろう。

その心と、疲労が溜まってくる体とバランスをとりながら、一番の敵であるかもしれない怪我に細心の注意を払わなければならない。

とても難しいチャレンジだとは思うが、身近にいてくれるチームの支えも受けて乗り越えてほしい。


「自分は羽生結弦なんだ」
その揺るぎない自信を胸に。


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